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5層のコンクリート造りの立派な建物です。
「長浜城」ではなく「長浜城歴史博物館」としているところが奥ゆかしいです。(笑)

豊臣秀吉が羽柴秀吉として愛しんだ長浜城は、「功名が辻」で名前の知れた山内一豊などに引き継がれたのですが、関が原後の徳川政権時に廃城となってしまいます。
そのときに、お城や石垣は解体されて一部は彦根城に使われたともいわれており、発掘調査も一部しか行われていないのでナゾの多いままになっています。
長浜城の北側には、浅井長政の小谷城があり、戦国の砦としての役割を持った小谷城から、行政や商業の役割を持った長浜城に、そして、より多くの発展を目指して行政の中心が彦根城に移ることによって、この地区は歴史の表舞台から去っていくことになったのでしょう。

ということで、このお建物は長浜城風味と思ったほうが良いでしょう。