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ちょっと来ない間に、一条戻橋の周辺に手が加えられていました。
先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移したものなのだそうです。
横の式神の影がちょっと薄くなりました。
ここは、千利休が住んでいて、晴明井の水を使ってお茶を入れていたそうです。
聚楽第の一角として与えられたようですが、その間の晴明神社はどうなっていたのか気になってきました。
ちょっと古い地図を探してみようと思います。