15/05/24-25 神奈川

静岡SA

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ろくに食べていないせいかしんどいです。
ずーと頭も痛い。
関東に来ると 頭が痛くなりますが、今回は怒りや虚しさも加わっているので、なおさら頭が痛い。
欽太郎というお店が空いていたので、桜えびかき揚げソバ。
たいへん丁寧に作ってくださいましたが、ソバはちょっと茹ですぎだったかな。

清水PA

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残された時間も少ないので、母に夜襲を掛けました。
出来るだけ冷静に、いま起こっていることと、私と妻の気持ちを整理して話をしたつもりです。

弟が、あれで限界、精一杯というのなら、母が病床に着いたときにも同じ事が起こること。
だからこそ、今の父に対して弟のしたことを見て欲しいこと。
気が利かないのは分かっているし、悪気があってのことかは考えても仕方ない。
父の言う弟のお見舞いの回数と、本人の申告も合っていないのだけれども、一歩譲って本人の申告通りだとしても、茶の1本、菓子の1つくらいは買えるだろう。
性格的に見ても、本当にただ病室に行っているだけで、父のことは見ていないのだろう。
病院から言われたことを、オウム返しに伝えているだけなのだろうこと。

また、母が実家に戻るのは私から言うことは無い。
しかし、父や近所の方にしてみれば、ある日突然に母は消えてしまっているわけで、それが父がもう家には帰れないから戻る。
しかも、父には酷いことを散々されたから死ぬまで会わないと言っているのは、今まで筋を通し、人との義理を大切にしてきて、人にもそう伝えてきた母と矛盾しないだろうかということ。

最後は、妻が母の情に訴えて、父と会うことに頷かせた。
妻には、感謝をいくらしても足りないくらいです。

良いことなのか、悪いことなのかは分からない。
ただ、父は父なりに気持ちの整理をつけて残りを過ごせるだろうし、母は母なりに父が居なくなった生活がし易いだろうと思う。
身内の死に面したとき、後で後悔すること無いように動くことしかない。

結局は、私たちが連れていくことになり、週末も神奈川になった。

久しぶりの清水PA。
開業当初の賑わいは無いのか、開いている店舗は1つだけ。
入れ替わりもいくつかあったようです。 

バッファローキング

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あちこちに食事もとる暇もなく走り回っているので、やっと食事です。
妻を労いたい気持ちもあり、肉の塊をニンニクたっぷりにして食べて、力をつけようと言うことになりました。

犯罪とまでは言いませんが、医師や弟のあからさまな不誠実な対応に、私も妻も怒っています。
母は、滋賀に居る私たちに対して「1人で大変だ。精一杯やっている」ということを電話で何度も言っていましたが、これが精一杯なのかと思う。
不仲だし、家庭を崩壊させた父に怒りもありますが、それでも死を前にしてこれは酷いだろうと思うと、悲しくも虚しくもある。

このお店で、何度も楽しく食事をしましたが、今日は味がよく分かりませんでした。 

父の病院 2日目

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関わってしまうと覚悟を決めれば早いものです。
こういうとき、妻がほとんどまったく同じ気持ちで居てくれることが救われます。
夜中のうちにドンキーで買い物をし、スリッパやゼリー飲料や茶を購入。
重たくて、2リットルのペットボトルは持てないというので、500ミリリットルを10本強購入。
もう死んでしまうのだから、私と妻も小さな酒を買うことも検討したのですが、結果として発覚したときに父が母や弟にいろいろ言われることを考えて断念。
まだ、母を病院で父に会わせることは諦めていません。

保険屋の次に100円均一に寄って、柄の太目のスプーンやフォーク、もう使うことは無いだろうけれども箸などの小物類や小包装となっているお菓子類を購入。
胃は切除されていて、1日に5食や7食にして、少量ずつ食べるようにという指示だったのに、3食では全く足りません。

買い物をしながら、モノというのは人生の彩りなのだと改めて感じました。

病院に行ったら、父は食事中でした。
昨日、箸が上手く使えなくなっている父に、妻がフォークやスプーンで食べることを教えたのですが、今日はそれが食べやすかったのかフォークで食べていました。
昨日から疑問に思っていたのですが、父の身辺には衣類が全くありません。
下はオシメなので仕方ないとはいえ、パジャマの下のシャツや靴下などは病院のレンタルなどもなく不思議に感じていました。
見ると、昨日と同じです。
打ち合わせ通り、妻が「お父さん、下着とか靴下とかはどうしてるの?」と聞くと、しばらく間があったあと「どうしてるのかなぁ」とひと言。
暴れ者の私の前では弟のことは悪く言いたくないようで、いつもこんな誤魔化しをします。

妻が、小さな物入れの中を掃除し、主治医との面会へ。
昨日、父の容態を聞きたいと言ったところ、キーパーソン(弟)の同席か許可が無いと話せませんとのことだったので、弟に連絡を入れさせておきました。

40歳前後の主治医。
会うなり「弟さんには聞いていないのですか?」と最初から横柄。
次に「私も5日前に、前の病院からお手紙を頂いたのを読んだだけ」。
当たり前のように言える感覚に驚きました。
病名等もお手紙(紹介状等を指すと思われる)を読んだだけと、父の電子カルテも見せる。
そこには、前の病院の病状説明を転記したと思われる数行の文があるだけ。
「ここに書いてあるのは、胃の全摘を行い………と言うことのようです。」
と文を読み上げられ、「肝臓の転移した癌からの黄疸が出ていますとのことなので、あとわずかです。」で終わろうとする。
驚いたことに、この医師からの見立てが何一つありませんでした。
転院翌日にCTを取っているはずですが、それさえも目を通していないのでしょう。

食い下がって、「父が昨日家に帰れるということを言っていたのですが、一次的に帰れるのでしょうか?」と聞くと、「いつでも退院していただいて結構。その場合、在宅の…」と言い出すので妻が遮る。
やっと話が通じたことを要約すると、食事がとれていないから栄養剤の点滴を打っているけれども「どうせ間もなく死んじゃうのだから」本来は必要ない。
弟の希望で、父には病状を知らせていないので、希望的なことを言っているから帰れると思っているのでしょう。
昼間の一時帰宅は「どうせ間もなく死んじゃうのだから」したければどうぞ。
間食について聞いても「どうせ間もなく死んじゃうのだから」、食べたいものを食べさせてください。

自分でも、だんだんと髪の毛が逆立っていくのがハッキリと分かりました。
妻もだんだんと目が釣り上がっていくのが分かりますし、2人とも語尾がきつくなってしまいました。
弟に任せている部分にあまり介入したくはないのですが、弟は父の死について抗うこともなく、ハイハイと聞いていただけなのでしょう。
最後に、「一般論で構わないので、この状況での余命は?」と聞くと、長い長い前置きのあとに「1ヶ月」と言われました。

父は父なりに自分の運命に抵抗しようとしているのか、「腹が減っているけれども食べれない」「腹が減った」と、それこそ食べている最中にも言っていた。
食が細くなっているわけではなく、食べたい気持ちもまだまだあるのに、ここはそれさえも理解していない。

医師との面会が終わっても、父の元にはしばらく戻れませんでした。
「滋賀に連れていく?」とも妻は言ってくれました。
踏まねばならぬ段階があるので、とりあえずは検討することにしましたが、私も妻も寿命が来る前に病院と弟に殺されるというのが率直な意見でした。
感情がもつれて母は家を出て、恨み言のように父のことを「死んじゃえ」と言っていたことは知っていましたが、母に忠実な弟は、必要最低限のことだけをして、罪悪感もなくそれを実行しているようにさえ感じました。

「食べたいものは無い?」「無くなったら弟に買ってこさせるから」等々と言っても、「言ってもアイツは買ってきてくれないんだよ」と何度も言っていて、自分にこんな感情が残っているとは思ってもいませんでしたが涙が出てきました。
私が、本格的に弟に腹を立てていることを父も察したのでしょう。
話しを切って、父は横になりました。
こんな状況でも弟は可愛いかと思うと、つくづく虚しくなりました。

招き猫ダック

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妻の保険のグレードを上げるので、馴染みの保険屋さんに来ました。
同時に、弟のことが信用できなくなっているので、先日母が手術してことも含めて、保険の手続きの確認。
信用できないのは、この期に及んで狡賢く立ち回って私を出し抜こうとしていることを疑っているのではなく、本当に何も分かっていないままに訳も分からず、母からの指示(間接的な私たちの指示)で仕方なく動いて、怒られるのを恐れて失敗を誤魔化しているようになってきているからです。
母は老いて誤魔化せても、そうやって家族が嘘の積み重ねを繰り返した挙句に、家族全員が後ろ暗くなってしまったのが、現在の実家がおかしくなっている原因だと思っているので、出せる膿はこの際、出してしまいたい。
案の定…。

聞くということが出来ないというのは、罪でもあるなぁと思います。 

厚木PA

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新しく開通した圏央自動車道に厚木PAが出来ていました。
宿場をイメージしたそうで、トイレなども和風です。
でも、トイレに大型テレビを2個も置いておくのは過剰のような気がします。
それ以外にも、地域案内をするディスプレイが同じサイズで2つ。
とりあえず、知らない間に厚木はB1グランプリで町おこしをしているようで、そういうPRがいっぱい。
負けじと周辺市町村も案内を出していて、相模川西岸の市町村の野望に満ちたPAでした。(笑)
そのなかでも、相模原のパンフはインパクトがありました。

海老名SA

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寝床を求めて海老名SAに来ました。
改装したといううわさは聞いていましたが、随分とせまっ苦しくなったものだと思います。
店舗もぎちぎちで、通路も狭く、なんか好きになれない感じです。
結局、海老名で寝るのは諦めました。 

竜泉寺の湯

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母が隠れ住んでいるアパートに行き、父の容態を妻と伝える。
私も妻もそこは伝えることを仕事としているので、見てきたこと、聞いてきたこと、思ったことなどは分けて伝えるように心がけている。

自分が実家に関わらないようにしているのは、弟は自分の力で何かを実行するという力がかなり乏しいので、私や妻が入れば、ほとんどがその通りになってしまい、弟が潰れてしまうから。
相続は放棄しているつもりなので、絡んでしまえばそこも避けて通れなくなってしまうこともある。

実家を維持していた聡明な母も、父の晩年に付き合っている中ですっかり歪んでしまい、広く深く物事を見る力を全く失ってしまっている。
父がもう退院をする可能性がほとんど無いということを弟から聞いて、早々にアパートを引き払い、実家に戻ることを決めてしまっているほど老いているのは驚いた。
その割に、父の入院先には行かない、葬儀にも行かないと言っているのだから、世間の誹りを気にする割には想像できなくなっているらしい。
弟がイエスマンなのも酷過ぎるが、もう諫言してくれる人も居なくなっているのだろう。

最初に母だけと話が出来たのは良かった。
父が息を引き取った時にどうするのかは、案の定、なにも考えていなかった。
すぐにどこかの葬儀社に連絡をして父を引き取らなければならないこと、その時に、父を葬儀社の安置所に運ぶか自宅に運ぶかの選択をしなければならないこと。
通夜や告別式なども含めて、本来喪主である母が出ない中で、準備したいくつかの段取りやプランを説明していくと、自分の無謀さや異常さを悟り、喪主をすることを覚悟したようです。
仮に父が火葬式で済ませてしまうことになれば、自分も火葬式になるのが筋ということも気がつかなかったらしい。
そんな母では無かったのにと思うと、妻も同じ気持ちでした。

ひと通り話が終わった時に弟が登場。
また、イチから話しはじめなければならないのが面倒くさい。
同時に、靴の件は看護婦さんと話をしたとか、葬儀については互助会に入っているところから手紙が来たなどの僅かなアピールをしてくるのも面倒くさい。
実際に動かなければ、何も始まらないことを、父の病気を通じて少しずつ動き方を教えてきたつもりだけれども、この期に及んでも理解していないこともイライラする。
「互助会に入っているならそれを使えばいい。自分の名義じゃないからお前が連絡しろ」というと、言い訳をする様もガッカリする。
母が「自分が葬儀に出て喪主をする」というと、それも驚いていることが情けない。
母のこの行動が心変わりとおもうのだろうか?
人の心を動かすということが理解できないのだろうということは分かるけれども、結果として後々苦しむのも母なのだからという行動は、弟には親不幸に見えるようだ…。
いつまでも人の表面しか見えないのは、私や妻には不幸に見えるのだけれども、それさえも気がつかないというのは逆に余計な気を遣わなくて幸せなのかもしれないと思ったりもします。

いつものことだけれども、父に対しても、母に対しても、妻の存在は本当にありがたい。
自分を殺して、相手を和らげる力を持っているし、覚悟を決めれば、人が言いにくいことを諫言することもできる。
2人が同じ方向に向かって、違う言葉で働きかけることが出来るのは、一緒に仕事をしてきて阿吽の呼吸となるように工夫をしてきたこともあるけれども、それ以前に同じ根っこを持っているのだと思う。

1日動き回って、閉店間際の龍泉寺の湯に飛び込みました。
お風呂は、凝った身体も心も和らげてくれます。 

父の病院

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もともと不仲な父だし、良い思い出なんかは殆ど無く、有ったのかもしれないけれども酒を飲む醜態に上書きされてしまい思い出せない。 
当初、癌が見つかった時にも、病院の説明に納得いかずに私と妻でセカンドオピニオンを勧め、転院先で誤診が発覚。
母も弟も、面倒を見たくないというので、術後の転院先の病院も、将来末期に来た時にお世話になる病院も複数ケ所妻と捜し歩いて手配をして滋賀に移住しました。

父親への愛情とかそういう想いは本当に無い。
大学も奨学金を借りて卒業したし。
しかし、それでも育ててもらった恩はある。
長男としての義務もある。
だから、家や畑も含めて、父親が可愛がっている弟にやるつもりで就職したら家を出た。

今回、神奈川に来たのも、母や弟では葬儀や墓地のことなどは決めることもできず、亡くなった後に出入りの業者に言われるがままにハイハイとお金を出して、その癖、あとから後悔することが目に見ていたので、長男としての義務を果たすためのつもりでした。
癌は多発性ガンで、最初は切除したりしていたのですが、その後の生活が破綻して、母は別居をしてしまった。
何度もあいだに入って、父母弟の仲を取り持とうと、妻と努力をしたのですが、3人3様の身勝手さに呆れ、もう父親と顔を合わせることも無いと思っていました。
しかし、たまたま通りがかったのが運のつき。

父の病室には、保険証やほとんどお金の入っていないらしい財布を入れた小さな手持ちバックと、電動髭剃りと、ティッシュ箱3個と、1袋のおかし。
入院のきっかけとなった路上で転倒したときに履いていた靴だけだった。
着替えもないらしい。

先日は、夜に勝手にトイレに行って、そこで転倒をして軽くけがをした事に対して、母も弟も怒っていたが、箸を持つ力もほとんどない父が、運動靴を履くのは困難だったろう。
きちんと靴を履かずに歩いて行っての転倒だったんじゃないかと、簡単に予測ができる。
それに、自力でトイレに行くというのは、残された「生」への執念なのではないかと私は思っていた。
仮に、その執念があったとしても、病室でベッドに転がされていた父は、看護の都合ということでオシメを履かされていた。
夜は、勝手にトイレに行けないように拘束され、オシメにするように指示されているそうだ。

病気になる前、酒に溺れて、母に悪態をつくのが当たり前になっていた父親を襲撃し、その際に打ち所が悪くて病院送りにしてしまったことがある。
「晩節を汚して欲しくない」
「もっと良い酒を少量だけ飲むようなことはできないのか」
「趣味を持ってくれ」
そんなことを言いながら、泥酔していた父を打ち付けた記憶が残っている。
救急車で運ばれた先で、「親子げんかとはいえ救急車で搬送されることになっているので刑事事件にすることも可能です」と医師は言いました。
同時に、「しかし、血中アルコール量が晩酌とは思えないほどの高濃度なので、警察に相手にされないかもしれません」という話をして、そのあと「警察を呼びますか」と父に聞いたとき、酔いから醒めた父はグニャグニャと手を振って、身体を揺らして断った。
不仲な親子だけれども、ほんの少し、親子としての糸は繋がっていたのだと感じた。

母も弟も浴びるように酒を飲んでいたのが原因と認めないが、趣味が持てなかったのは家族のせいでもある。
持たせたお金は全て酒になってしまうという母の理屈は確かに正しい。
父はそれだけのことをしてきている。
私に殴られたあと、弟は釣りに少し興味を示した父を釣具屋に連れていき、好きな釣竿を買ってやるといい、その時買わなかった父が悪い、自分はやることはやったという。
釣りをしたこともない父親を連れていって「買え」と言っても、買えるだろうかと思う。

私物の殆どない父親の病室を見て、私が家を出た後の実家は、どうしてこんなに狂ってしまったのだろうと、寂しくなって佇んでしまった。
同時に、不仲な父親とはいえ、親が死を迎えるときに、小さなカバンと電動髭剃りと菓子袋と靴だけで良いのだろうかと思うと、腹が立ってきた。
父は、晩節を彩ることに失敗してしまったのだろう。
それでも、今からでも少しはできることがあるのではないかと。

病院から出された食事をヨロヨロと箸で少量つまみ、口に入れる。
箸で口に運びきれないときには、手で落ちそうになった食事を掌に乗せて食べる。
胃が無くなっていることもあるけれども、「1回であんまりいっぱい食べれないんだよ」と子供のように言う父は、ミイラのようではあるけれども剣が取れてしまっていた。
食事の前は、声に力が無かったけれども、少量だけでも食事をしたら声も理解できるほどに大きくハッキリしてきたのを見て、これはカロリーが足りないのだと気がついた。

「何か欲しいものは無いか」と尋ねても、最初は無い無いと言っていたけれども、スリッパが欲しいか?ゼリー飲料なら飲めるか?お菓子はあった方が良いか?飲み物が欲しいか?などと妻と私が話の合い間で聞いていくと、やっぱり欲しいらしい。

顔を見て帰るだけだったのに、結局は明日も来ることにしてしまった。

駿河湾沼津SA サマサ水産

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シラスと桜エビの誘惑に負けて、食べてしまいました。 
当たり前ですが、美味しいです。
もう一品はマグロ丼。
海鮮は久しぶりなので、しみじみ美味しいなぁと思います。
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